きんかん

昨日、所用で慈母観音の地を訪れました。


知人三人と一緒でしたので、懐かしい記憶は胸に秘め、車を走らせていると、
まだまだ記憶の底に沈みこんでいた出来事がよみがえってまいりました。


いっそ忘れた方が良かったと思う気持ち半分。
ネタにしたい気持ち半分。


歯科医院があった場所に近づいた時、思わず口元が緩んでおりました。


もう、数十年前のことですが、そう言えば開業したのは、九月一日。


ジジイさん(開業を手伝うことになった国王の友人)夫妻と、国王の四人で、
家主さんと会ったのは、丁度今頃だった・・・と気づきました。


歯科医師だったご主人に先立たれ、長らく閉院していた場所をお借りしての
開業でした。


歯科器具の殆どは、使い放題。
材料は、近々に納入していただきましょう。
というようなお話は、主婦の私には意味不明。
なので、もっぱら静かに座って聞いておりました。


しかし、家主さんが、


きんかん、集めるといいですよ。


と言われた時から、話しがあらぬ方向へと流れていきました。


きんかんですか?


思わず、口にした瞬間、国王が微妙に目配せしたような気がしましたが、
気のせいだと思いました。


そうそう。きんかん。
売れるんですよ。


きんかんを売る・・・。
何故に、突然《きんかん》の話しが出てきたのか、理解しがたいものがありました
が、私の頭の中には、皇太后の家の庭にある、黄色い実が、ありありと浮かんで
おりました。


実家にありますね。


国王に言うと、はあ・・と、生返事でした。
しかし、家主さんはお構いなく、話しを続けました。


結構落ちてますから、箒で集めるといいですよ。


私の頭の中に、庭に落ちた金柑の実が、ありありと浮かんでおりました。


落ちたのを集めるんですね。


なぜ、“木になっている実”ではいけないのかわかりませんでしたが、
落ちたのが売れるんだな・・と、心に刻みました。


たくさん集まってから売った方がいいですよ。


そうなんだ・・・じゃ、まとめて売ろう。

私の決意は、国王のみでなく、ジジイさんご夫妻にも伝わったようでしたが、
真剣な私に反して、他の三人の様子が少し変であったことに、もっと早く
気がつくべきでした。


分かりました。集めます。


とてもいい話を聞いたと思った私は、勢いよく返事をしましたが、
その一言で、ジジイさんご夫妻が、震えているのがわかりました。


家主さんは、何でしょう?という雰囲気で周りを見渡して
おりましたが、その時国王が、速攻で立ち上がりました。


それではそろそろ失礼しますので。また。よろしくお願いします。


外に出た瞬間、国王が言いました。


よくあれだけ話しが続いたな。


固まっている私に、ジジイさんが丁寧に教えてくれました。


“きんかん”っていうのは、歯にかぶせている金パラの冠。金冠のことだよ。


治療の際に外した金冠を集めて売るという話しだったのだそうです。


そういえば、家主さんの発音は、きんかん↗
私の発音は、きんかん↘
と、微妙に違っておりました。


それに、あの場所では言えなかったけど、金冠は売っちゃいけないんだ。
オレは売らん。決まりは決まりだ。


私の頭の中で、思いっきり膨らみ続けていた金柑の実・・。
皇太后の家の庭でたわわな実をつけ、私を待っていてくれるはずだった
金柑の実・・。


その実像が、音を立ててガラガラと崩れさっていきました。


しかもそれ以来、国王からも、ジジイさんからも、“きんかん” 呼ばわり
されることとなり、踏んだり蹴ったりでした。


やはり・・・思い出したくない事実でした。(-.-)

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